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宿題っているの?いらないの?元小学校教員の見解は?

はじめに

タレントのDaiGoさんが「宿題は不要である」という旨の動画をネットに上げたところ、そのことに関して「それは違う!」という意見の動画を上げる人たちが続出しました。

DaiGoさんは、それらの意見に対し「言い過ぎた」「勇み足だった」と謝罪。しかし、なかなか収拾がつかず、お互いの過去の過ちを持ち出して煽り合いになってしまったようです・・・

これって議論する上で一番やっちゃいけないことですよね・・・

さて、宿題は「いる」のか「いらない」のか。これって誰でも議論に参加できるんですよね。ほとんどの人が小・中学校に通った経験を持っていますから。

ここでは元小学校教員の立場から宿題は「いる」のか「いらない」のか、私見を述べていきたいと思います

宿題は必要?不要?

結論から言います。私は宿題は不要派です。

なぜ私が不要だと考えるのかを述べていきます。

問題点

一律性

宿題を出すことの大きな問題点が一律性にあります。学級の全ての子どもたちに同じ宿題を出すことが問題なんです。

子どもによって得手不得手があります。勉強が得意な子どももいれば、苦手な子どももいるんです。

勉強が得意な子どもたちのほとんどは元々家とか塾とかで勉強しています。そうなってくると簡単な宿題は邪魔でしかありません

一方で勉強が苦手な子どもたちは家では進んで勉強しません。塾にも行かない場合が多いです。そういった子どもたちはそもそも自分ひとりで宿題に立ち向かっていく力がありません

そうなってくると適当に済ませたり、やらずに学校に行ったりして怒られたりすることになるんです。

じゃあ、親が見てあげればいいじゃんって声もあると思います。

それができないから子どもは勉強が不得意なんです。

親の収入が高いほど子どもの学力が高くなると言われています。これは東大生の親の平均収入から予想されるものです。そして、収入と学歴は比例関係にあるとも言われています。

つまり、親の学歴が高ければ子どもの学力も高く、親の学歴が低ければ子どもの学力も低い可能性が高いということです。もちろん例外もあります。が、例外は例外でしかありません。

こうなってくると宿題は勉強が得意な子にとっても不得意な子にとってもジャマなものでしかなくなってきます

不要な満足感

勉強にゴールはありません。どこまでも追究することができるものですし、どこまでも知識を増やしたり技能を高めたりできるものなんです。

ところが、宿題を出してしまうとその感覚が薄れます。子どもも親も。

とりあえず宿題はちゃんとやってるからいいでしょ、という感覚になってしまうんですね。勉強=宿題みたいに。

事実、保護者の方と話していても「宿題はちゃんとやっているんですが・・・」という声がありました。やはり宿題さえやっていれば大丈夫という感覚なんですね。そんな万能な宿題があるとは思えませんが・・・

宿題は家庭で勉強に取り組むきっかけであり、それを終わらせることがゴールではないはずです。

でも、子どもにも親にもそういった意識を持ってもらうのはなかなか難しいものです。

学力向上?

じゃあ勉強が苦手な子どもは勉強ができるようになるのを諦めるのか!というお叱りの声が聞こえてきそうです。

実は、ここにも「学校」の問題点があるんです。

勉強をできるようにさせたいのは誰か?という話なんですね。実は親じゃなくて先生のほうが多いんですよ。

もし「親」が子どもに勉強をできるようにさせたいのであれば、宿題なんてなかったとしても問題集を買ってきて一緒にやったり、塾に行かせたりすればいいんです。

そういったことをしない親は言ってしまえば、勉強はそこそこでいいって考えなんですね。

この「勉強はそこそこ」って考えを「先生」は否定しがちなんです。なぜでしょうか。実は単純な話なんですね。

彼らのほとんどが「大卒」だからです。

自分は大学を出たおかげで今こうして働くことができている。だから大学に行こう!

自分はもっと良い高校に行っていればもっと楽に大学に行けたはずだ。だから良い高校に行こう!

こんな感じですね。

でも、実際は中卒だろうと高卒だろうと幸せに暮らしている人たちは大勢いるわけです。とりあえず勉強ができるようにしたほうが選択肢が広がるという考え方もありますが、選択肢が増えすぎると選べなくなるという考え方だってあります。

良い成績を収めて、良い中学、良い高校、良い大学に行くことこそが幸せなんだ、という偏った考え方が学校にはありがちなんですね。

でも、これって実は政府にも言えることだから仕方がないんですけど。

有効な場合も

宿題なんて問題点ばかりだ!と述べてきましたが、有効な場合もありますよ。

それは、時間差の解消と暗記です。

例えば、授業時間内に問題を全て解き終えることができなかった、時間さえあればできるのに・・・という場合ですね。そういった時は宿題として続きをやってくるように促してもいいと思います。

あとは、漢字の暗記や九九の暗記などですね。暗記はひたすら数をこなすしかありませんから。

漢字なんか変換すれば出てくる!とか計算なんか計算機で良い!って声もたまに聞きますけど、漢字の変換は正しいかどうかはある程度漢字を知っていないと判断できませんし、小学校レベルの計算で計算機を使っていたら生活するのも面倒になってくると思うんですが・・・

でも、やはり毎日出す必要があるかというと、そこには疑問がありますね

終わりに

さて、ここまで述べてきましたが、これはあくまでも私見です。

これも本当は問題なんですよ。

学校現場にはあまりにも科学的根拠に基づいた取り組みが少なすぎるんです。

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もちろん全ての取り組みを科学的にやることは不要かもしれません。しかし、あまりにも感覚的にやっていることが多すぎる。

それは宿題にしても授業にしても行事にしてもそうです。

今は、少しずつそういった部分にメスを入れているようですが・・・はたしてこれからの学校はどうなっていくのでしょうか。

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宿題の問題点は2つある。

ひとつは勉強ができる子にとってもできない子にとってもジャマにしかならないこと。

もうひとつは家庭によって得られる親の協力に大きな差があること。

 

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